「両親への手紙」の基本的な構成
①両親への感謝の言葉(書き出し)
②子供のころの思い出・家族への感謝・今も忘れられない言葉など(エピソード)
③これからの新生活への決意や夢(抱負)など
④最後に感謝の言葉・(家族、両親にメッセージ) 書き出しは②から始まってもかまいません。
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①両親への感謝の言葉(書き出し)
②子供のころの思い出・家族への感謝・今も忘れられない言葉など(エピソード)
③これからの新生活への決意や夢(抱負)など
④最後に感謝の言葉・(家族、両親にメッセージ) 書き出しは②から始まってもかまいません。
お父さん お母さんへ
昭和50年10月14日 身長 50cm 体重 3,060g
二人の元に私は産まれました。
この時から27年間大切に育ててくれてありがとう。
小さい頃は、誰に会っても「お父さんそっくりで目が大きいね。」ってよく言われたよね。
小さい頃はあまり思わなかったけど、今ではこの目は自分の一番好きなところです。
こうやって、写真を見て振り返ると、楽しかった事、嬉しかった事、悔しかった事、
いろいろあったなぁって昔を思い出します。お父さんとの思いでもいっぱいあって、
初めて自転車を買ってもらった時‥。
嬉しくて自転車屋さんから家まで一生懸命こいで帰ったのを覚えてます。
それと、高校生の時に手紙をかいてくれたのを覚えてますか?
17歳の誕生日の日、枕元に手紙が置いてあってそれはお父さんからでした。
手紙には「自分に責任の持てる行動を‥」という内容の事が書いてありました。
普段はあまり何も言わないけど、
内心では心配してくれてるんだな‥と改めて実感したのを覚えています。
お母さん。
いつも笑顔。温かさを感じます。
悩んだとき、挫けそうなとき、いつもあなたの笑顔に支えられました。
僕は、あなたから
優しさ,愛情,そして強さを学びました。
時には優しく、時には厳しく。
人としての在り方や人生観は、あなた譲りです。
覚えていますか?
小学生の頃、サッカーの試合をよく見に来てくれたことを。
覚えていますか?
骨折した僕を、毎日車椅子で小学校に送り迎えしてくれたときのことを。
覚えていますか?
僕が車で大事故を起こしたとき、一言も怒らず無事を喜んでくれたときのことを。
覚えていますか…?
僕は、全部覚えています。
言葉では言い表すことができないけれど、心と身体で全部覚えています。
親孝行なんて何も出来なかったけど、二人で仲良く生活していく事が、
そしてたまに遊びに来て元気な顔を見せる事がこれから私に出来る両親への親孝行だと思っています。
くれぐれもムリをせずに体に気をつけて、仕事がんばってね
最後に‥‥
産んでくれてありがとう。
今まで大切に育ててくれてありがとう。
幸せになります。
24年間育ててくれてありがとう。
この24年を振り返ってみると、心配や迷惑ばかりかけてきた24年間だったと思います。
その中でおとうさんとは、小さいころはよくあそんでいたけど、中学・高校になるにつれて、
反抗期で話す事もなく 寂しい思いをさせた事もあったと思います。
そして、私の中でとても印象的だったのが唐津に行く時、見送っていた顔がとても寂しそうでした。
その後もママと一緒に唐津に遊びに来てくれて帰るときに泣いてたよって聞きました。
いつもあまり感情を出さず何があってもどっしりとしている姿しか見ていなかったので、
びっくりしたけど何も言わないけど、でも心配してくれてるんだなぁーと思いました。
そして、ママとは昔からケンカをする事は、ほとんどなく
いつも仲が良くて何でも話せる友達のようでであり、時には母として頼れる存在です。
そんなママは私が何をするにもおこったり反対せずに見守ってくれました。
わたしも、もうすぐ母親になるけど、ママのように何でも見守っていけるような
偉大な母親になりたいと思います。
そして今まで、2人に何ひとつ親孝行できなかったけど、
これからは何かひとつでもしてあげられるようにがんばります。
これからも2人仲良く大好きなペットと長生きして下さい。
本当にここまで、人一倍世話のかかる私を育ててくれてありがとうございました。
1980年 1月20日 午前11:52 体重3,260g 身長48.5cm
○○家の長男として生まれました。
元気に生んでくれてありがとう。
幼稚園に入園。
とても恥ずかしがり屋で周りと余り話せなかったのを憶えています。
毎日泣かされて帰る時も・・・
ただお母さんに似たのかいつでも明るい子でした。
小学校に入学。
誰とでも話せる子になれました。
逆にうるさい子と言われた事も・・・
思えば小学校二年生にもらった絵の賞が1番始めだった事を憶えています。
数々もらった絵の賞の中でも1番記憶にあるのが、四年生にもらった賞です。
学校でもらった時より家に帰ってお母さんがすごくうれしそうにしてくれた事で、
うれしく思えた事を憶えています。
今でも付き合える友達が出来、一番楽しかった頃。
記憶に残るのが、中学校三年生!!
どこも行ける高校が無いと言われた僕を有名高に受験出来るまで指導してくれたお父さん、
ありがとう。
あの時は厳しかったぁ~
自分の中でも転機が訪れたのもこの時でした。
本当に迷惑をかけました。一番落ち込み、悩む僕に少しでも手を差し伸べようと見守りつづけてくれた事、本当に感謝しています。
高校に入学。
文章ではこれだけですが、本当にいろいろありました。
今でも憶えているのは、お父さんに言われた事です。
「今までの事なんかどうでもいい。今を大事にやりとげろ」
あの時はその一言にも反発してしまったけど、今は本当に感謝しています。
親の気持ちに甘えて飲食業をしていた時。
いろんな事を経験、勉強できました。
そんな環境を作ってくれた事、理解してくれた事。
本当に感謝しています。
これからはいつも優しく、時には厳しく、世の中のいろんな事を教えてくれた お父さん、お母さんの
ような家庭を、そして子供が生まれたらいつも優しく、人に思いやりが持てる姉のような子供に育てたいと思います。
今まで育ててくれてありがとう。
本当にありがとう。
昭和59年5月28日 パパとお母さんの元にわたしは産まれました。
パパ、わたしを初めてだっこした時、若いパパは嬉しかったですか?
小さい頃は、誰に会っても「パパそっくりだね」と
よく言われましたね。前はあまり思わなかったけど、
今ではパパとそっくりなこの目やふじびたえ…
そして「愛」という名…大好きです。
仕事が忙しくなかなか会えないからと、パパと交換日記をやったこと。
よく温泉に連れていってもらい、
わたしの髪の毛を結べずすごく時間がかかったこと。昨日のことのように思い出します。
和也さんを初めて紹介した日、電話で「今から行くから」と言うと「来なくていい」の一点張りでした。
挨拶にきてくれたのに奥から一歩も出てきてくれず、お母さんが間に入り話をしてくれましたね。
それなのに、結婚を承諾してくれたこと嬉しかったです。
家族の為に一生懸命働いてきたパパ
頼りになるパパ。
いつも、わたしを気にかけてくれたこと知っていました。
お母さん、わたしがお腹にいる時、女の子だとわかり嬉しかったですか?
小さい頃は、よく可愛い服を着せてくれたり、可愛い髪形にしてくれました。
お母さんと一緒にお風呂に入りながら、料理を教わりながら、いろんな話をしました。
何かあるといつも味方をしてくれました。
「無理しなくていいよ」といっても、
毎日、朝早く出勤するときに、かかさずお弁当を作ってくれました。
休みの日も必ず朝ごはんを作ってくれていました。
「おはよう」 「いってらっしゃい」「おかえり」「おやすみ」うちの中で響くお母さんの声が大好きでした。
大人になって気がつきました。結婚が決まってから気がつきました。
何気なく過ごしてきた毎日がどんなに幸せだったのか。
子供だったわたしも、今日新しい一歩を踏み出すわたしも、
ずっとかわらずお父さん、お母さんが大好きです。ずっとかわらず、娘です。
最後に…
わたしを産んでくれておりがとう。
今まで大切に育ててくれてありがとう。
幸せになります。
お母さんへ
春風が肌に心地よい季節
昭和54年3月28日 身長53.0cm 体重3560g
お母さんの元に泰臣は産まれました。
この時から34年間大切に育ててくれてありがとう。
結婚が決まって気がつきました。
何気なく過ごしてきた日々がどんなに幸せだったのかを。
さまざまな思い出とともに 感謝の気持ちでいっぱいです。
今までたくさんの苦労をかけましたが
おかげ様でこの日を迎える事ができました。
こうやって写真を見て今までを振り返ると楽しかった事 嬉しかった事
写真を見るたびに懐かしく昔を思い出します。
私は幼い頃、よく熱を出したり、喉が痛くなったり、
心配ばかりかけていたと思います。
近所の公園で自転車の乗り方や逆上がりを教えてくれました。
愛情をたくさん感じていたし、本当に心から感謝しています。
ありがとう。
お母さん、覚えていますか?
今思えば自転車で浦和や与野やあちこちよく出掛けたね。
よそ見して電柱に激突した事もあったよね。
嬉しいときは一緒に笑い、時には厳しく育ててくれた。
大好きなお母さん、本当にありがとう。
今日この日を迎えることができたのも、お母さんのおかげです。
これまでもらったたくさんの愛情、決して忘れません。
産んでくれてありがとう。
今まで大切に育ててくれてありがとう。
あなたの子供で本当に良かったです。
昭和58年10月2日、私は産まれました。
それからもう28年の月日がたちましたね。
そして無事に今日という日を迎える事ができました。
本当にありがとう。
今までの28年間を振り返ってみると本当に色んな事があったね。
お父さん、お母さんにとって私はどんな娘だったかな?
4人兄弟の一人娘。
弟3人、私一人女ということもあり時々寂しく思うこともあったけど、
今思えば一人娘だったから、娘として愛情を独り占めできたんだよね。
その分、たくさん甘えたね。
お父さん
小さい頃色んな所に連れて行ってくれてありがとう。
海、山、川、キャンプ、バーベキュー、スキー、海外、、、
色んな経験をさせてくれたね。たくさんの思い出を作ってくれたね。
昔のアルバムにはたくさんの笑顔。
兄弟4人の笑顔をみるとすごく心があったかくなります。
このアルバムの中の写真はどれもかけがえのない思い出です。
私はすごく手のかかる子だったね。
就職しても、寮まで送り迎えたくさんしてもらったね。
休みの日、一人で寮にいるのは寂しくて、休みのたび、家に帰ってたね。
お父さんが、仕事にいく時、いつもより早起きして寮まで送ってくれたこと、
今では懐かしく思います。
運転できるようになるまでの約4年間、お父さんには甘えっぱなしでした。
お母さん
お母さんとは、たくさん話をしたね。
私にとって何でも話せる存在、とても大きな存在。
お母さんとは、近すぎて時にはけんかする事もあったね。
でも時間がたてば、また元通り。
何でも言い合えて、信頼関係があって、やっぱり親子だよね。
お母さんの働く姿を見て、私も看護師になったね。
お母さんが看護師じゃなかったら、きっと私は別の道を歩んでいたね。
私の道しるべになってくれてありがとう。
昔の私は、人見知りで内向的で、家にいることが多かったね。
でも成長し、色んな人との出会いを経験し私は少しずつ変わっていったね。
その第一歩はお母さんが習わせてくれたピアノがあったからだよね。
私にとってピアノがあったから、強くなれた部分、たくさんあったよ。
ありがとう。
楽しいこともたくさんあったけど、色々大変な事、家族がバラバラになりそうな事、
本当に色んなことがあったね。でも、何があっても家族は家族。
何よりも家族みんなで過ごす時間が 私は大好きでした。
そう思える、家庭で育つことができ幸せでした。
お父さん、お母さんの娘に生まれて幸せでした。
お父さん、お母さん、大好きです。
最後に、
なかなか照れくさくて言えなかったけど、
28年間、たくさんの愛情で育ててくれて、本当にありがとう。
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